Changing Karma
by Alisa Torres

 皆様お帰りなさいませ。 わたしは、北カリフォルニア2部 ディッキー経のトレス・アリッサと申します。
今夜、わたしは皆様にこの尊い真如み教えをとおしてわたしがどういう風に因縁をきっていくことができたかをお話させていただきたいと思います。
さて、因縁とはいったいどういうことでしょうか? 因縁とは、物事の起きるその原因とその結果といわれています。
本題に入らせていただく前に、本日こうして皆様の前でお話させていただく機会を与えてくださった、御仏様の教えをまもってくださっている護法善神さま、わたしの教えの両親である真如教主さま、摂受心院さま、そしてわたしたち真如教徒を抜苦代受のお力で支えてくださる彼らの愛息子達、両童子さま、真如苑苑主であられる真如継主さま、そして久遠常住釈迦牟尼如来さまに心から感謝いたします。 ありがとうございます。
今を去ること20年前、わたしがこの教えに結ばれたときのことからお話させていただきたいと思います。
そうです、皆さんの中にはわたしがどれほど長い間教えに結ばれているかと聞いて驚かれている方もいらっしゃることと思います。
わたしは真如苑のみ教えに家族を通して結ばれました。 いわゆる家族入信というものです。
わたしの父が真如苑にご縁をいただいたおりに、わたしも入信させていただいたわけですが、この「真如」とは、「普遍の真理」また「真実」 と解することができます。
時間のたつのは本当にあっという間で、本当にわたしがこの教えを歩み始めるまで、というよりも「真実」を目の当たりにするまで、10年もの月日がすぎていったのです。
両親には申し訳ないのですが、父が教えに結ばれたときの「真実」とは、なんらかの原因で両親が別居することになったということ、そしてその理由をわたしは知らなかったということです。
父をはじめ、わたしたちきょうだいはみな教えにむすばれていましたが、まったく歩んではいませんでした。
両親が別居して3年がすぎたころに、経親さんから教えを歩むようにとすすめる電話をいただいたことをきっかけにようやく精進はじめたのです。
その当時、両親は離婚に向けての手続きをはじめたころで、わたしたちがここシアトルにてほんのわずかな信者さんたちとともに精進しはじめ、もちろんわたしはそのなかでは最年少でした。
少し年月をはやめてお話させていただきますが、シアトルで精進を始めて2年がたったころ、わたしの父は日本にある基地へと赴任することが決まりました。
わたしたちが日本に到着するや否や、父は親苑で真如教主さまのもとで一生懸命精進しはじめました。
このことを考えるたびに、わたしは悲しくなります。 なぜなら、わたしは日本に引越ししてからというもの、真如教主様がわたしのすぐそばをお通りになられるようなそんなすばらしい機会に恵まれていながらも、わたしは自分勝手な、教えの道からかけはなれていくそういう道を選んでしまっていたからです。
 日本に引越ししたときわたしは18歳で、高校を卒業し、フルタイムの仕事をしながら短大に通い始めていたときでした。
その当時のわたしをもっとわかりやすく表現するなら、高校もクラスの最低のレベルで卒業し、短大も1学期しかもたず、仕事も3つから5つはしていました。
このころからわたしのお酒の量も増え、交通事故をおこしたり、またそのほかにもとてもひどい選択をしてきたために大変苦しい思いをすることになったのです。
その間、父は教えを一生懸命歩んでいましたが、わたしは教えから遠のいていました。
この場をお借りして、父に心から感謝の言葉をささげたいと思います。
なぜならば、もしあの時父が真剣に精進してくれていなかったならば、わたしはもっと不幸な思いをしていたでしょうし、もしかしたら命さえ失っていたかもしれません。 お父さん本当にありがとう! こうして、わたしを不幸のどん底に突き落とすたくさんの過ちをおかしたあと、1993年にわたしはコロラド州デンバーに引越し、そこで最愛の男性にであるという幸運に恵まれました。
3年後にわたしたちは結婚し、そして日本に移りました。 世の中の新婚カップルが夢と希望に満ちたあふれているように、わたしたちもまた日本でそういう夢の新婚生活をおくり始めることになったのです。
ところが、実際にはそんな甘い生活は長くは続きませんでした。
わたしたち夫婦は待望の第一子を授かったのもつかのま、わたしは流産してしまったのです。
それからわたしは変わりました。
正直、わたしはその当時自分が変わったことにさえ気がついていませんでした。
このままお話を続けさせていただくまえに、ここで皆さんに一言お伝えさせていただきたいことがあります。
こうして皆さんの前でお話させていただくことがどれほどわたしと夫にとって難しいことであったかということです。
でもわたしたちは、ここでわたしたちの経験をかたらせていただくことによって、このすばらしい教えによって、どれほど困難な状況であっても乗り越えていけるということをみなさんにわかっていただけると信じているからです。
また、こうして皆さんの前で、わたしたち夫婦のプライバシーを公にすることを許してくれる夫、マイケルに心から感謝しています。
話をもどさせていただきますが、わたしが変わった・・・ということ、それは子供を失ったそのいかりをわたしは夫にぶつけていました。
夫も同じように苦しんでいることに気づきもせず、夫のことをせめるわたし。
そしてその心の痛みをうめようと次第にわたしの心は夫から離れていってしまったのです。
貪、塵、痴・・・三毒、また三悪として知られていますが、われわれ人間は、欲が満たされないと怒り、そして怒りに任せておろかな行動をとってします。
三悪の因縁はしっかりとからまりあって、心とからだを侵していく。
それによって人は幸せを感じられなくなる。
つまり、わたしが進んで行った道、不幸への道。
 こんなわたしに数年間付き合った夫もついに堪忍袋の尾がきれたのか、アメリカへもどってしまいました。
彼はわたしがすぐ後を追ってくるとねがっていたのですが、わたしはさらにそのあと2年間日本に滞在し、まるで独身にもどったかのような生活をおくっていました。
そんな折、夫からの電話で「もうこれ以上待っていられない。 今決断してほしい、そのまま日本に残るなら離婚、それかアメリカでもう一度はじめからやりなおすか」
電話を切る前に、わたしは夫に今後のわたしの一生を決めることになるのだから、せめてあと1ヶ月、考える時間をほしいとお願いしました。
わたしが決断を決めるまでのこの1ヶ月の間、わたしは知らなかったのですが、教主様、摂受心院様、真導院様そして教導院様のご遺骨がはじめて親苑でご一体になられたそうです。
教主様のご家族がお亡くなりになられたときはそれぞれが別々の場所に埋葬されていたのですが、2001年、65年もの月日を経てはじめて親苑の地、ご霊廟にご家族が一緒にまつられることになったのです。
わたしがこのことを知ったのは、その当時のわたしの目の前に座った生徒の一人が輪宝のネックレスを身につけていたからです。
輪宝、そう真如苑のかたにはおなじみのはすの花の輪宝。
思わずわたしはその生徒に、彼女が真如苑の信者かどうかを訪ねたのです。
彼女は「どうして真如苑のことをしっているの?」と驚きを隠せない様子でした。
わたしは自分も5、6年前までは教えを歩んでいたことをつたえ、その後、何度かその彼女とお昼ご飯をたべたりして教えの話をしたのです。
わたしがどうして親苑に行くのをためらっているのか、実際に親苑はとても近い距離にあってそれでもなぜか遠い、遠く感じでいたのです。
通勤電車でお寺は毎日通りすぎていましたし、同じ市内で働いていながらも、親苑の反対側の駅を通勤で利用するほどの近さで働いていながら、親苑に帰ることはなかたのです。
 何度かこの生徒と教えの話をさせていただいたあと、ついにわたしは勇気をふりしぼってあるひの午後、彼女とともに親苑に帰りました。
恥ずかしさと罪の意識から頭を下げての帰苑でした。
親苑の地を踏みしめるや否や、わたしは自分で気がつきもしないうちに、ご霊廟の前にたっていました。
次から次に涙があふれでて、わたしはもっとはやく戻ってこなかったことをこころからざんげし、そしてその場ですぐ、アメリカに戻って精進する覚悟がさだまったのです。
アメリカに戻った当初は、生活もらくではありませんでした。
でも、真如教徒がこの世でみ仏様の教えを歩めるように、そして常楽我浄を築けるようにとお命をかけてくださった真如双親様と、わたしたちの因縁を背負うために幼くしてなくなった両童子様にわたしはゆるぎない精進をお誓いしてきたのです。
こうして、今わたしはここで主人と二人の息子達、父そして導き子たち、また法友と歩ませていただいています。
わたしはみなさんとともにこうして「真実」を見聞すること、まことをこめて取り組ませていただいていることをとてもありがたいと感じています。
真如教主様は、このように述べておられます:
わたしたちの身近にいる人は、わたしたち自身を映し出す鏡のようもので、また特に自身の心の奥に潜んでいる悪い部分が現されるものです。
「どうしてわかってくれないのかしら」とか「なんでわたしにばかりこんないやな思いをさせるのかしら」とか思ったならば、それは相手に非があるのではなく自分の我の心に原因があるのです。
そういう時こそ各々が自らを省みて心をたてかえていくいい機会なのです。
20年前にわたしがはじめて教えに結ばれたときにこのことを知っていたら、どんなにすばらしかったことでしょう。
そうしたら夫はあんなに苦しい思いをしなくてすんだのです。
ここで心から主人に謝りたいと思います。 「本当にごめんなさい」
本日はどうもありがとうございました。