Family in America
by Hitomi Dickey

 生まれた時から積み重ねてきた心癖や子供を通して気づかせて頂いたことについて。
私の両親は私が小さな頃から共働きだったので、いつも隣に住む祖父母と叔母に面倒を見てもらっていました。
祖父母の家も酒屋を営んでいたので忙しく、会話をしたりすることがあまりありませんでした。

褒めたり、 一緒に喜んだり、悩んだり、そんな事をするよりも他人のあら捜しをする。

そのような土地柄で育ってきました。

父親は休みの日にはよく一緒に遊んでくれた記憶があるのですが、母親は?と聞かれると、友達がいつも羨むほど、いい服を買ってくれたりとそんな記憶しかありません。

いつも周りの目を気にして生活している、そんな毎日の生活で考えること、周りから言われること、全てネガティブで、卑屈になっていました。

そんな私が遠く離れたアメリカとい う大陸に来ることができたのも、今思えばとっても不思議です。

時々アメリカから帰ってくる母の妹を見て、私もああなりたいなぁ、いいなぁ、楽しそうだなぁと思っていました。

とても田舎なので、髪を赤く染めている叔母は一際目立つ存在でした。

アメリカってどんな国なんだろう?しかし、まさか自分がここに今こうして生活させていただいているなんて夢にも思いませんでした。

そんな私もついに母親になる時が来ました。

仕事ばかりしていた自分の母の姿をみて育った私は、しつけの仕方も赤ちゃんにかける言葉も分からない、どう自分の子供に対しての愛情を表現していいのか分からなかった のです。

子供を生む前までは、子育てなんて、今まで妹達や姪っ子、甥っ子の面倒を見てきたんだから簡単だ!なんて軽い気持ちでいた私はそのヘンな自信を180度ひっくり返られた ので、ますますネガティブになってしまいました。

ハズバンドと子供達の協力、そして彼の両親の大きな支えのもと美容師の学校に通うことになりました。

学校では、どんなに小さな事でも先生やクラスメイトは喜んでくれます、褒めてくれます。

また、それを私はどうして受け止めればいいのか分かりませんでした。

褒めてくれても素直に喜べませんでした。

私が育ってきた所とは全く違ったのです。

学校に行くことで、人に会い、友達を作り、言葉を交わす、一緒に行動するそのようなことが苦手だった私には初めはとても続けていく自信がありませんでした。
「嫌だったらいつでもやめていいんだよ」って家族から言われたとき、ここでやめたら、自分はまた箱の中に閉じこもってしまう、そんなのは嫌だと思い、本当に家族の大きな支えのおかげで、カリフォルニアのライセンスも修得することができました。
2年間半、自分の家族を含め、ハズバンドの両親、義姉夫婦、叔母夫婦、家族一丸となって本当に私のために時間を費やして、支えてくれました。
 英語は日本でしっかり学んだつもりでしたが、見についておらず、これもまたひとつの大きなショックでした。
しかし、がんばろうと一生懸命やっていったときには、両童子さまがいつもみ心をそそいでくださり大事な試験もこなしていくことができました。
また、子供達もよく我慢してくれました。
少しずつガチガチの心がやわらかくなってはきていたのですが、やはり素直に言葉に出して言うということがなかなかできませんでした。
何か言葉に出して言おうとすると、心の奥から、「そんなこと言ったら笑われるぞ」 「こんな田舎の顔した私が言ったら馬鹿にされる」 とか出てきて結局、何も言えない状態になってしまうのです。
自分の子供がいくらいとおしく、かわいくても周りに誰かがいると、「I love you.」 も言えなかったのです。
周りの人に「かわいいでしょう?」と聞かれても「いやぁ~そうでもないです」とか「まだ実感がわかないです」などと返してました。
本当は素直に「ハイ、とってもかわいいです」と言いたいのにいつも言葉に出るのはまったく逆のとこでした。
それが いつも自分の心にぐさぐさと刺さってとても苦しかったです。
義姉や叔母は私とは逆に声に出し、態度に出し、ありったけの愛情で子供を育てています。
私はいつになったらああいうふうにできるようになるのだろう。
早く自分を守ってばかりの心を破りたい、ますます、心はあせるばかりでした。
周りに誰もいないと小さな声で、自分の気持ちを言うことはできたのですが、何かいつもそうやってこそこそしている自分がいていやでいやでたまりませんでした。
それを上求菩提させていただいたことがあり、その時に、私が育ってきた土地に、隠れキリシタンが関係していることを知り、どうどうとできない、隠れてしか自分の信じる事を信仰できない、そういう方たちの思いなども、自分の心のあり方と繋がっていくる事を知ることができました。
とにかく言葉に出していこう、今度こそはちゃんと言おうと、言い聞かせて、ずい分長くかかりましたが、今は心から子供達に、言うことができます。
摂受心院さまがポンと背中を押してくださって前に出ることができたような気がします。
今年の夏、母が少しの間アメリカに来ていました。
沢山の話をすることができました。
ある日、私の小さかった頃の話になり、母は泣きながら、「あなた達には本当に申し訳ないことをしてきた、本当にごめんね」 と謝りました。
私の心の中では、小さな頃からこの教えにご縁を頂いていたせいなのか、色々と母も分からないなか躾けと称してやってきた事も本当なら、母のことが嫌いになるのが普通だと思いますが、母を恨んだり、憎んだりしたことは一回も無いのです。
母がこうして涙を流しながら、打ち明けてくれた時、今まで母はとっても苦しかったんだなと気づくとともに同じ事を自分の子供達にしようとしていた自分にも気づくことができました。
この機会をいただけたこと本当に感謝でいっぱいです。
私にとっては、とても大切な両親、大好きです。
 またある日の接心で、私の子供を通して私とハズバンド両家に繋がる多くの水子さんを示されました。
この世に生まれること事ができず、母の愛情も感じることもできず、寂しく孤独な思い、どんなに今こうして沢山の幸せを頂いている私の事がうらやましいだろう、なのに、今の私はどれだけこのみ教えを通していただいている仕合せに感謝できているだろう、恥ずかく申し訳ない気持ちになります。
実際に最近子供の態度、状態を通して見せていただいたメッセージがあります。
それは、私の心が、大切な接心で頂いたご霊言を忘れかけていたとき、水子さんに対しての心が薄れていったとき、子供達が、なかなか寝付けないのです。
いくら疲れていても眠ることができず、少し寝ても泣いて起きてしまうのです。
また、子供が私と手をつなごうとすると私は手をつなげないようにスッと手を動かしていたりすることに気がついて、これはなんなんだろう?となぜもっとやさしく接する事ができないのかな?と思っていました。
子供を抱きしめたり、手をつないだり、こんなことはどんな親でも、普通にやっていることなのに、自分にはなぜそれができないのか、無意識に子供達に対してそんな態度をとっているのです。
それが2~3日続いて私もなんだろうと思惟して子供達と夜の読経をしているときに「あっ水子さんだ」とふっと思ったので、それから、すぐ子供達と水子さんへの心運びを忘れていたことなどを話しました。
するとその夜から、子供達もぐっすりと眠り途中起きることも無くなりました。
とっても不思議でした。
また手をつないだりハク゛してきたりする子供達に霊界の水子さんに心を向け、自分のありったけの愛情で返すと、とてもうれしそうに微笑んでくれます。
私もそれがうれしくてたまりません。
もっと早く気づいてもっと早くからこうして子供達に接してあげることができていたらと思うと、後悔の心ばかりが出てきますが、こうして気づかせていただいたことに感謝を忘れず、摂受心院さまのやさしくあたたかな心を忘れず、これからもっと素直に沢山の愛情を注いで、私と同じ思いをさせないように育てていきます。
ありがとうございました。