On Negative Karma
by Lance Murray

 私は三重3部会、森田経のランス・マレーと申します。
本日、沢山の顔見知りの方もいらっしゃれば、新顔も見受けられます。
私が過去10年以上、この精舎でみ教えを精進しているということを新しい方々は知らないかもしれません。
今までに既に2度プルーフをさせていただきましたので、み教えに出会う前の自分の過去についてはここでは触れず、過去4年間の精進についてお話させていただきたいと思います。
真如苑に結ばれてから10年のうち、色々な面でお力を頂いてきました。
しかし、人生において受ける様々な恩恵と同様に、失って初めて本当の感謝ができるものです。
双親様より、沢山のみ心を頂いてきました。
アメリカ、ヨーロッパ、日本で行われる特別の法要に参座する機会を沢山頂きましたし、そのうちのいくつかの法要では式典のご奉仕もさせていただきました。
ロサンゼルスでの斉燈護摩の数ヶ月前に頂いた接心では、「道を外れると、深い泥沼に引き込まれ、そこから抜け出すのはとても難しいでしょう」と示されました。
日本での斉燈護摩でご奉仕させていただいてから2年と経たない頃、私は真剣に自殺を考えていました。
低級な界に深く滑り込み、自分でも抜け道はないだろうと感じました。
この苦しみを逃れるには死しかないと思いました。
自殺を考えたのは1度だけでなく、6回ほど真剣に計画を立てました。
因縁の世界の方が明るく、より好ましく思えたのです。
自分にとって進むべき正しい道のように見えました。
私は不倫をし、ギャンブルにおぼれ、アルコール依存症になりつつありました。
退職金口座と預金口座からお金を引き下ろし、多額のクレジットカード負債をつくってしまいました。
因縁とはおそろしいものです。
 私が3歳の時、私の両親は離婚しました。
私の息子が3歳の時、私は離婚しました。
私が5歳の頃、父の新しいお嫁さんが、父の連れ子を義父の元に養子に出させました。
私の不倫相手の女性は、私の子供をあきらめるようせまりましたが、私にはできませんでした。
方法はわからずとも、この因縁を変えたいと思いました。
因縁について耳にしてはいましたが、自分はそれを避けることができると思っていました。
あくまでも他人に関わることで、「自分には関係ない」ことだったのです。
精舎には3-4ヶ月に1度、帰苑するだけでした。
帰苑すると、皆の態度が冷たく、よそよそしく見受けられました。
信者の皆さんが自分のことを知っているに違いないと確信していました。 
今まで親しくしていた法友達が、何故、突然自分を避けるようになったのか分かりませんでした。
でも結局、人ではなく自分だったのです。
私の顔も気性もイライラとして、いつも怒っているような表情でした。
他人に対してとてもトゲトゲしく、周囲の人達は私にどう声をかけたらいいのか分からないのでした。
幸せで、親切で、ひょうきんな人間だったのが、腹を立てた、きつい人間にとってかわってしまいました。  発する言葉も短くてそっけないもので、私は自分自身を見失っていました。
周りの人達は、私がどうして変わってしまったのか知らず、対応に困っていました。
 この当時、私はキリスト教の教会に行っており、洗礼も受けました。
でも、心の平安も幸せも見出せませんでした。
私の人生の中で出会った皮肉の1つですが、真如苑がいかにすばらしいか、別の信仰の中に抱かれて初めて気付くことができたのです。
その教会では、苦しみを背負いつつも、その苦しみから逃れる方向性をつかめない人を沢山目のあたりにしました。
真如苑には、因縁消除を可能にする3つの歩みがあります。
日々の生活の中で、因縁がどのように影響しているのか、接心を通して分からせていただけます。
真如苑は、道をお示し下さる正しい教えで、私達はただ、聴聞し実践させていただけばいいのです。
私の持つ因縁が、私の家庭、この女性の家庭を滅ぼし、また事務局スタッフを動揺させ、法友の方々にご心配をおかけしました。
このことについて、深くお詫び申し上げます。
お寺や真如継主様を傷つけることはするつもりはありませんでした。
今になって皆様の懸念も理解できます。
でも当時は自分自身も傷ついていたので、「でも自分の苦しみはどうなのだ?」と自問していました。
大歓喜をいただいていながら地獄の世界に落ち、すっかり自己中心的になっていました。
大乗の道を踏み外してしまったのでした。
 私はいつでも自分の持っているものは「自分の力で得たもの」と思い込んでいました。
双親様から頂いたものとして感謝をしていませんでした。
ご霊界から頂いたものではなく、自分の能力であると過信していました。
ご褒美ではなく、私の足りない面を気付かせる方法だったのです。
私はあくまで自己中心、人間中心的な受け止め方をしていました。
そんな私に2つの命綱が投じられました。
1つめは私の子供達でした。
その3年間で、それまでの生涯分以上の涙を流しました。
ほぼ毎日の日課ように、ウツの泥沼にはまり込んでいましたが、子供達のお陰で、息をつくことができ、人間らしさを取り戻せるように感じました。
ある時は私の行いが彼らに及ぼしたダメージを思い、それが彼らの生涯に影響するものなのだと気付かせていただきました。
2つ目の命綱は思いもかけないところからでした。
とはいえ、全く予測できないことではなかったのです。
ロサンゼルスでの斉燈護摩では、私は子連れの部屋で子供達の面倒を見、前妻は彼女の母親と法要に参座しました。
真如継主様にお会いするのを恐れていたのです。
自分が汚らしく思え、継主様をとても落胆させてしまったと思っていたからです。
でも継主様は法要直後、子連れの部屋にもお越しになり、皆さんに手を振ってご挨拶下さいました。
涙を浮かべ、継主様を拝させていただきましたが、こちらは向かれませんでした。
突然、部屋を出られる直前に、私の方をご覧になり、15秒間ほど、私の目をじっと見つめられました。
そして私の心の中にあたたかなご慈悲を注いで下さいました。
「大丈夫ですよ」といって下さっていました。
頂いたご慈悲に涙が私の頬をつたいました。
予期もしていなかったことですが、考えてみれば予期すべきことだったかもしれません。
 シカゴ精舎の落慶法要でも真如継主様にお目にかかりました。
その頃の私は、まだ同じ因縁の重みにより地獄世界に入っていました。
そしてまた、シアトルの新精舎落慶の折にも継主様を拝させていただきました。
私は子供の世話をしていましたが、継主様は私をご覧になり、またも大きなみ心を注いで下さいました。
当時、浮気相手の女性とはもう会っていませんでしたので、もう一度自分の歩むべき道を見出したいと感じていました。
シアトルでたまたま旧友に会い、どこから再起したらよいかを示していただきました。
彼のサポートにとても感謝しております。
真如継主様が霧の中にいた私にとって灯台のあかりとなって下さいました。
私のことを見捨てずにいて下さったことに対し、心からの深い感謝を表したいと思います。
一弟子として、師であり、生きたみ仏様でいらっしゃる真如継主様に敬愛の念を抱いています。
総合道場1年目、私にとっても再起1年目となるこの年に、プルーフをさせていただけることをとてもありがたく思います。
この因縁の泥沼から抜け出し、教徒の皆さんに霊能者としてお仕えさせていただけるよう、精進してまいります。
み仏様、世の人々に教師としてお仕えさせていただけるよう、精一杯努めます。
そして願わくばいつの日か双親様、真如継主様へのお誓いを全うし、斉燈護摩、総合道場、そしてここアメリカの地において真如継主様のお役に立つという使命を全うさせていただけるよう願っています。
 ちょうど子どもが自転車に乗るようなものではないでしょうか。
みんながしているから自分もしたいと思う
でも、最初に自転車から落ちたとき、それでも乗るのか否かを決めなくてはいけません。
その時こそ、本当に自分の意思で自転車に乗りたいのかどうかを決める時です。
私は真如の「自転車」から落ちてしまいましたが、最初の時より一層、この自転車に乗りたいと心を決めました。
私の子供達には同じ因縁に苦しんでほしくありません。真如苑は真実の道であると確信しています。 この道を見出してから、私の人生の前途は太陽の光に包まれています。
そして私の「灯台」である双親様、両童子様、真如継主様、護法善神様、私がしてしまったことに対し、お詫び申し上げます。
経親さん、経の方々、この精舎の経親さん方、事務局スタッフの方、アメリカと日本の私の家族のために、道を貫き、因縁を消除し、皆様の土台とならせていただけるよう精進してまいります。
この地でも日本でも、私のことをあきらめずにいて下さった方々がいらっしゃいます。
そういう方々がいて下さって、仏性をもって地獄から引き上げて下さらなかったら今の私はないかもしれません。
その皆様に合掌を向けさせていただきたいと思います。
 苑歌に
『道野辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ』
といただきます。
『密厳院発露懺悔の文』を毎晩お唱えさせていただくことにしました。
ただお唱えするだけでなく、1語1語が自分にとって持つ意味を学ぶようにしています。
真如教主様は毎年寒修行の時、懺悔の文をお唱え下さいますが、そのみ心にお応えし前進していきたいと思うのです。
ありがとうございます。
この精舎で皆さんと精進させていただけるのをうれしく思います。
過去10年にわたり、ありがとうございました。
約10年前、第2回目の接心で、生涯かけてみ教えを貫いていきますか、と問われました。
初信でしたので、そう聞かれて驚きました。
少し考えて、「はい」とお答えしました。
この道が、岩や穴がある険しいものとは予想しておらず、お約束したことを因縁のせいで忘れてしまうところでした。
当時の覚悟がまた心の中で燃え上がり、この道を皆様と共に永遠に求め続けていくのを楽しみにしています。