Shinnyo En
by Mika Tanaka

 私は日本に住んでいる田中美香といいます。
私は28年前に初めて 『真如苑』 という言葉を学校の友達から聞きました。
その時は特に真剣に真如苑に対する質問も興味もなく、私には必要のない事に思えて、何気なく聞き過ごしていました。
私の幼い頃両親が離婚をしたので、母は私と弟を祖父母に預け出稼ぎに行きました。
そのため私は両親のいない寂しさを我慢し、祖父母には迷惑をかけないようにと幼い頃から 「わがままを言ってはいけない」 と自分に言い聞かせ、強がって生きて来ました。
ですから真如苑に対する興味より先に就職して、早く独り立ちするために保育士の資格を取る事が重要な課題でした。
そして真如苑の事を聞いた頃、弟が大事故にあい意識が戻らず、母は病室での寝泊まりの付きっきりの看病となりました。
私も毎日学校の帰りに寄って母に協力し親子で必死でした。
弟は事故から40日目にふっ!と目を覚まし、脳挫傷による後遺症で言語障害と左手足の麻痺があり、つらいリハビリの毎日でした。
今思えばそんな私や私の家族に彼女は、もう一度 『真如苑』 のことを話してくれたのですが、私はまだ気づけずに何を話してくれたのか覚えていません。
また彼女も今の私の様に 『お救け』 したいけど 「どうやって自分の思いを届けようか」 と考えていたようです。
自分たちの家族だけで何とかして生きて行かないといけないんだ。
誰でも色んな問題を抱えている。 それが因縁だと深く考えず、ただ 『どうしてなんだろう』 『こんなに頑張って真面目に生きて行こうとする者に対してなぜですか』 『神様って何ですか!』 と自分を省みる事なく、 他の何かのせいにして苦しみをぶつけていました。
それ以後卒業した私達は自然と疎遠になり、連絡が取れなくなりました。
しかし何故か分からないのですが、ふっ!と彼女のことを思い出すたびに必ず 『真如苑』 の文字がくっきりと浮かび、「彼女はまだ真如苑に行ってるかな? そこで何をやってるのかな?」 と思ったりしました。
また、ふっ!と 『真如苑』 の文字がくっきり思い出された時には彼女を思い出していました。
何度か手紙のやり取りをし、お互いの生活の様子を連絡していたのですが、お互い引っ越したので連絡先が変わりました。
ある日、このままでは彼女には会えないし、何か突然! 「急いで連絡しなきゃ」 と思い、 祈る思いで彼女の実家の電話番号を探し当て 「今しかない!」 と電話した頃、 私は日本でそして彼女はアメリカから私を探していました。
彼女は真如苑の接心修行で 『あなたがずいぶん前に 「お救けの種を蒔いた」 その一つの種が土中で枯れる事なく成長し、今は双葉が開いてますよ。 今年は何かを成就するようです』 とご霊言を頂いたので私の事だと思ったそうです。
そして彼女が電話をくれた時、私は生活の異変ぶりを話しました。
『借金』 『離婚 』 『バセドウ病』 『変形成左股関節症の手術』をして退院後は 『リウマチの症状』 に苦しみ、そのせいで気持ちが落ち込み 『パニック障害』 を患い、 動悸や息苦しい発作に外出も怖くなり、辛い・悔しい・死にたい・どこか逃げ出したい気持ちでした。
『仕事もできない』 それでも泣けないで歯を食い縛っている私の様子に彼女はゆっくり話を聞いてくれて 「もう入信するしかないよ!」 と言った彼女の力強い言葉には学生時代の彼女のイメージは全く無くて、言い様のない力強い物を感じました。
逆に自分の弱さを彼女の一言に感じた位でした。
こうして28年もの時間をかけて私は、2008年9月に真如苑に導かれたのです。
その年は体調不良の為に思う様に家庭集会に参加出来ず、 帰苑も動悸や不安感から体は震えるし、 リハビリしていた左股関節の痛みと麻痺して痺れた後遺症に家事や着替えさえ、子どもの手を借りなければ思う様に体を動かす事の出来ない辛さばかりに縛られ、薬や病院通いが一番の治療だと思っていました。
 そんなある日、日本に来られた経親さんに会いました。
経親さんに 「何か聞きたい事は?」 と言われても 、パニック障害を治療中の私には、 家庭集会での話や 『一如の道』・『朝夕のおつとめ』 は文字を見る事も読む事さえも苦痛で、意味を知ろうと努力してみても、 段々と 「余計に見るのも嫌だ!」 と思うようになり、ご讃題すら口にしたくなくて言葉も声も出ません。
導き親さんのアドバイスしてくれる事も聞こえて来ない状態でした。
ちゃんと話が出来ない私に、経親さんが 「何も難しい事なんてないんだよ! 分からない分からないじゃなくて、分かろうとする事からだよ。 こんな楽しい教えはないんだよ! 自分がしなきゃ! 自分が何でもすべて抱えて頑張ったって、それは違うんだよ』 と教えて頂いて、初めて自分が強がり頑張って来た事が、くるりと裏返された様な、周りを助けて自分の思いや気持ちは後回しにしてきた事が 自己中心的な考えだった事。
自分が必死で頑張って自分が満足していただけであって、間違えて捉えて頑張ってしまい、結局は子ども達を苦しめていたなんて。
経親さんに会わなかったら気づかずにいた駄目な親だった事を覚らせて頂いたのです。
去年(2009年)の寒修行が始まる頃に、導き親さんは夢で真如継主様が 『田中さんの事が心配なのね?』 と問われたので 『はい』 と答えたら継主様が祈って下さったよ、一日でも良いから寒修行にいって、必ず行けるからと連絡をくれました。
でも、寒修行に行こうとすれば体調をくずし、家族が怪我をしたり、事故にあったりで、最後の1日は真如継主様のご瑞教の時にどうにか立ち会えましたが、体調が悪くてただその場に座っていただけでした。
そんな私があれから1年で足の痛みも動きも軽くなり、パニック障害になりません。
いつの間にか買い物や家事が自然にやれる様になって来ています。
まだ心療内科やリウマチの病院通いと足のリハビリは続いていますが、病院に行くだけでパニック状態になり、ドキドキして医師に言いたい事も言えなかった私は今は居ません。
毎日の散歩と体操、食事にも気をくばり、家庭集会で発言もできます。
帰苑して接心を頂き、毎月の歓喜と 聖地親苑の荘厳への感謝の歓喜の徳積み、お施餓鬼やお護摩をお願いし、 子どもと離婚した夫をお救けして一緒に帰苑し、ご奉仕は体調をみながら近所の方と一緒に使う溝(みぞ)掃除を続け、こうして 「3つの歩み」 を実践して、今年(2010年)の寒修行では家族で協力し合って参加し、私はご奉仕読経と司会・プルーフをさせて頂き全日参加する事が出来ました。
こんな嬉しい事はありません感謝いたします。
初めての事に嬉しくて、 最後のご讃題は幸せと感謝で胸がいっぱいに成り、正座して頭をきちんと下げて合掌して終わる事が出来ました。
椅子に座っているだけでも痛かった足と股関節の痛みもありませんでした。
これが抜苦代受なのですね! 今年の一月の接心で水子が示されました。
私は 「そうだ!私が入信した時に一番の願いは水子供養だったのに、 次々に起きる他の事にばかり気持ちを取られ、 お施餓鬼をお願いする事も毎月から3ヶ月に一度とか、あれこれ他の事に気持ちが散乱していた!」 と気付き申し訳ないのと寂しい思いをさせたなと自分を省みた接心でした。
それから急いで気になっていた産婦人科に癌検診に2年ぶりに行き、子宮筋腫が見つかりました。
今までの私だったらパニック障害の発作で激しい動悸が起きてもおかしくない位のショックな出来事だったのですが、とても落ち着いて受け止められ、それが寒修行の始まる2日前の事でした。
中願の初日に癌検査の結果を聞き 「特に異常なし」 そして寒修行結願の4日目日に 「悪性の腫瘍ではない」 と子宮筋腫の最終結果を聞き、その足で寒修行へと急ぎました。
その日は丁度プルーフをさせて頂く日で歓びの報告をしました。
寒修行の功徳を頂いたと思います。
何より、どんなに遠くに居ても私が悩み考え戸惑う時には必ず、いつも不思議な出来事ばかり起きるのです。
導き親さんがいつも手に取る様に遠いカリフォルニアから私を見守って道を見間違えない様に支えてくれる。
そう思っていたのですが要約、それはすべてみ仏様の声であり他ではない『真如苑』にしかない、お力であり導きであると実感してます。
私がもし彼女から『真如苑』の話しを聞いてすぐ入信していたら、 お元気だった教主様のお姿を拝する事が出来たかも知れないのにと、教えに気付いていたなら亡くなった祖父や水子の為に何か出来ていたのではないか?と後悔しました。
けれど早く出会えていたからと言って、 教えを分かろうともせずに自分考えの心で過ごして来ていたならどうだったか? 私の中に小さな種を芽生えさせる事が出来ていたか? でも 「私が教えに出会える時は今だった」 と思います。
今だから 『真如苑』 に自ら取り組んで行けると思う心で入信する事が出来たと思います。
今、私には真如継主様が居て下さいます。
いつも私のそばにいて下さる双親様と両童子様の常住を体験させて頂ける。
そんな今の私が在る事に感謝します。
ありがとうございました。