Sesshin is Precious
by Mikayo Nantista

 「接心ってありがたいな」という事を体験しました。
私は20年以上前に家族にも誰にも言えなかった悩みを通して、真如苑に結ばれました。
その頃私は日本に住んでおり、真如苑の話を聞いた翌日、帰苑しましたがその日は法要はない日で、その精舎も3か月まえに落慶されたばかりの九州地方でただ一つの真如苑の精舎でした(今は、九州の各県に精舎があります)。 法要もなく、真如教主様の自分で作られた涅槃像様をご宝前で見た時から、家に帰っても数日、嬉しくてたまらず、家族、親戚、友達に「真如苑という所に行ったら、とても嬉しくなった」と話して回りました(それが、お救けとは知りませんでした)。
そして数人の方が真如苑に結ばれ、親戚の一人の叔母に「おばちゃんも、一回でいいから行ってみない?」と話している頃、それは私が接心を頂くようになってから4回目の時、ご霊言でこのように示されました。
『お救けした事がありますか?
あなたの話を聞きたくないとイヤイヤしている方が示されます。
その方は手が痛いですね、神経痛でしょうか?
背中も痛いですよ、血圧はどうですか? 
30回お話をしてそれでもダメなら残念ですが、今はこれといって問題、悩みはないかもしれませんが、あとで取り返しのつかない、困る事になるかもしれませんよ。
その方は真如苑に入信されてますか?
早く入信してみ仏様に結んであげて下さい。
一如の道、内外時報、歓喜世界をよく読んで、お救けして下さい。』

と頂き、一緒に真如苑に行っていた姉と親戚の叔母の所に通いました。
接心の後から10回目くらい叔母に真如苑を勧めた頃、叔母が「そんなに言うなら行ってみる」と入信出来ました。
 私は、自分が始めてお参りに行った時うれしかったから、叔母もそうだろうと思い
「叔母ちゃん、うれしい?」
って聞いてみましたが、叔母は帰苑者が多く、私が次はこれ、次はこれと急がした事に不満でした。
この事を通して、みんな違うんだとお救けの大変さを感じました。
叔母はその後、お施餓鬼をお願いし内外時報を家庭で読むといった信心でした。
叔母の家には日本で言う「拝み屋さん」がたびたび来られてましたから、真如苑に入信はしていても何かあるごとに自分の家に来てくれる拝み屋さんに頼んでました。
そして接心を頂けるまであと少しの所で真如苑をやめました。
私は、アメリカに来る事になり、その頃から母が帰苑し始めました。
数年後、母によってこの叔母は再び真如苑に導かれ、家庭集会にも参加、叔母の娘も入信?人とも接心を頂き、三つの歩みに取り組むようになり、数年後叔母は、70代を過ぎてからも大乗を相承。
娘も智流学院入行。
そんな時叔父が病で倒れ、家庭での介護が必要な身体になり、後に亡くなりました。
その後間もなく、頼りとしていた娘が末期ガンである事がわかり、彼女の最後は、医師から
「何か宗教をしてありますか? 普通はこんなに安楽出来ないですよ」
と聞かれたそうです。
 私は、アメリカの自宅で彼女が夢で
「みかちゃん、ありがとう」
とはっきり私に言った言葉で目がさめ、入院していたのを知ってましたから、母に電話で聞くと「一週間前に亡くなった」と知りました。
その後も元気にしている彼女の夢を見たので、今年3月に叔母の家に行きいろんな話しをする中に、叔母が
「夫を亡くし、娘を自分より先に亡くすとは、思いもしなかった。
真如苑があったからよかった。私は娘がどこに行ったか解る。その事が有り難い」
と笑顔で語りました。
そして
「あなたが真如苑に一緒に行こうと誘ってくれてた頃から教えをがんばっていたら、今頃は霊能者になれたかもしれないと時々思うよ。
自分は年寄りだから娘を何としてでも霊能者にと一緒にがんばってたけど計算が違ったね。
娘が入院している時に、元気になったら応現院に一緒に行こうねと約束してたから、一人ではとても東京までは行けないけど一度行きたい」
と言われ、今年83才になられる叔母は、腰も曲がり、九州本部への帰苑も大変になりましたが、今月の末には母と法友と共に杖をつきながら応現院へ行けるようになりました。
日々の生活の中で、因縁がどのように影響しているのか、接心を通して分からせていただけます。
 今年の寒修行の時には、一如の道の朗読をされ、 「人前で読み間違っては申し訳ないから」と自宅で練習された事を聞くと、
「読むページが決まっていたから、『今日はここまで』と自分で決めて読んでいたら、電話がなったり、玄関に誰か来たり、そのたびに、また始めから読んで、その繰り返しだったけど、そのおかげで寒修行の時はちゃんと読めた事がありがたかった」
と言われた事を通して、
「叔母ちゃん、有難う私は叔母ちゃんの年まで生きて、叔母ちゃんの気持ちのように、ありがたい、ありがたいと思えるだろうか?と自問自答してるよ。叔母ちゃんに会いに来てよかった」
とお礼を言うと、
「私でも何かの役にたてるのかね」と笑い、娘に変って孫の母親役をし、孫にこの教えを残すとがんばってます。
私もがんばります、有難うございました。