Personal Experience
by Yasuo Saito

 わたしは、斎藤康夫ともうします。
わたしは自分が経験したこと、 特にわたしが真如苑のみ教えによってどのように助けられたかということと、 わたしの父親そしてわたしと弟の関係が真如苑のみ教えによってどのように変わったかということを話させていただきます。
はじめに、わたしがどのように真如苑に結ばれたかについて話したいと思います。
ルイジアナの大学を卒業してすぐ、幸いにもケンタッキーで仕事が見つかりました。
仕事の肩書きは「エンジニア」でしたが、いまでも本当の仕事はなんだったかわかりません。
何もしなくても給料はもらえたかもしれませんでしたが、 わたしは仕事が好きではありませんでした。
信じられないかもしれませんが、何もしなくても給料はもらえたかもしれませんでした。 でも仕事が好きではありませんでした。
1年半後その会社でリストラがあり、わたしは解雇されました。
解雇された理由は、わたしが一度上司に「仕事がおもしろくない」とか「仕事がすきでない」と言ったからです。
. もっと自分の言ったことに気をつけるべきでした。 そのときは、それがわたしの大きな問題であるとは知りませんでした。
この問題が後に大きくなるとは想像もつきませんでした。
仕事を失い、ケンタッキーのようなところでは職探しも困難なので、カリフォルニアに移ることに決めました。
ご存知のとおり、仕事がないとアパートも借りれませんでしたが、幸いにもサクラメントに大学のクラスメートが住んでいました。
仏様のひとすじの光とわたしのご先祖様の徳とが、わたしがカリフォルニアに来るのを導き助けてくれていたと、今はおもっています。
わたしは、クラスメートのアパートに2が月間住んでいましたが、さいごに追い出されてしまいました。
おそらく彼は、わたしが2ヶ月間も仕事が見つからなかったことにうんざりしていたのでしょう。
翻訳の仕事を狙ってレジュメを20社に送りましたが、たった1つだけ返事がありました。
返事をしてくださったのが、いまのわたしの導き親です。
仕事をもらえると思い、いまの導き親と経親さんの家を訪れました。
仕事はありませんでしたが、わたしが住むところをみつけてくれました。
また、お二人はわたしに真如苑に誘ってくれました。
その日にわたしは、真如苑に結ばれました。
事実、気持ちのうえでは躊躇してましたが、お二人の言われたとおりにしました。
真如苑に行けば何かいいことが起きるのではないかと期待していたのかもしれません。
 次に、つぎの仕事場で起こったことを話したいと思います。
その後すぐ仕事が見つかりました。 コンピュータに顧客情報を入力する仕事です。
わたしは、その仕事が好きではありませんでした。 エンジニアとして十分な経験もないのに、プライドだけは大きかったのです。
顧客情報の入力は、学歴の無い人がする仕事だと思ってました。
. 毎日、みんなに仕事についての不満を言ってました。
わたしは、自分の上司だけではなく、同僚たちに対しても影で悪口を言ってました。
なお悪いことに、ひとりの同僚についてわたしは本当に悪いことを影で言ってしまいました -- 彼が浮気をしているとか何とか。
そして彼はその話を耳にし、わたしに起こりながら言いました、「何でそんなことをいうのか!?」 そのように言われてすぐ、わたしは自分の言ったことに気がつき、彼に謝りました。
自分がまわりの人たちに言ったことを本当に後悔しました。
経親さんのアドバイスにより、わたしは不満を言わずに働くこと、そして会社のために尽くすと決めました。
2・3ヶ月後、上司が言いました、「すこし君を信用できるようになったよ」
ある日、会社で新しい管理者が雇われました。 彼女は社員の情報を調べ始めました。
そしてとつぜん、わたしはまた解雇されました。
それは、わたしの仕事の仕方とかが悪いのではありませんでした。 なにか移民問題か何かでした。
事実、わたしの上司でさえ、わたしのとつぜんの解雇におどろいてました。
しかし、ここに抜苦代受のお力がはたらいていたと今は思われます。
のちに、わたしが去ってからすぐに彼女も会社を出ていったと聞きました。
まるでわたしを解雇するためにだけ雇われたようでした。
そのときが、わたしにとってその会社を出て新しい機会を見つけるちょうどよい時期でったことがあとで判明します。
その会社で働くことは、わたしにとっての働くときの常識を学ぶ修行であったといま理解しております。
その当時、基本的な職場での常識を知らなかったとは、恥ずかしい限りです。
とにかく、新しい仕事を探し始めました。
いくつかの面接がありましたが、すべて拒否されました。
しかし興味深いことに、それらの会社は今はもうすべて存在しません。
もう収入はありませんでしたが、経親さんの勧めで歓喜を毎月させていただきました。
さいごに申し込んだ会社から採用通知が来ました。 それが、わたしがアメリカに残れる最後で唯一の機会でした。
いまは、抜苦代受にとても感謝しております。
 つぎの会社で起こったことを話したいと思います。
わたしが働き始めた会社は比較的大きく、グリーンカードの費用をカバーしてくれました。
その当時、わたしは大乗会座に参座させていただいていましたが、いままでいただいたすべてについての感謝を忘れ始め、すべてのことを当然と思うようになりました。
わたしは、だんだん経親さんをアドバイスを無視するようになりました。
そのとき、わたしは異性の同僚が好きになりました。
彼女もアメリカ人ではない社員でした。
彼女については不明な点があると、わたしは気づいていました。
彼女は自分の移民資格などを隠しているか、政府の目をごまかそうとしているようにも感じられました。
しかしわたしは気にしませんでした。
わたしは、ときどき会社の帰りに彼女をクルマで送ってあげたりしました。
経親さんは彼女が良い人ではないということを感じ取り、わたしに彼女ととのかかわりを止めるように働きかけましたしました。
しかし、わたしは経親さんの忠告を無視し、真如苑の教えも無視しました。
ある日、会社の帰りに彼女をクルマで送ってあげてるとき、交通事故に遭ってしまいました。
わたしはクルマを失いましが、両童子さまからの抜苦代受のお力により、二人ともケガはありませんでした。
皮肉にも、わたしは経親さんに会社までクルマで送ってもらいました。
経親さんだけではなく、わたしの周りのみんなにもたいへんな思いをさせてしまいました。
経親さんは、それは霊界からのリブライだとおっしゃりました。
「会座が近づいているとき、自分の心の一番弱いところから因縁が現れる」と経親さんは言われましたが、わたしはすべでの助言を無視しつづけました。
わたしは、彼女に会うために経親さんになんどもうそをつきました。
しかし、経親さんはわたしがうそをついていることを感じ取っていました。
わたしは、経親さんの家に住んでいましたが、最後には家から出て行けといわれました。
経親さんに「真如のみ教えもやめるべきだ」とも言われました。
わたしにはたった一本の糸が真如のみ教えにつながっているだけで、それがいまにも取れそうな状態でした。
わたしは、自分の因縁のために深く苦しみました。
さいごに目がさめました。 理解できました。 うそをつくのを止めました。
2・3ヶ月後、大乗を総称させていただきました。
真如双親さま、真如両童子さまにとても感謝しております。
 その当時、わたしがいかに回りの人々を取り扱っていたかを話したいと思います。
この会社は前の会社とくらべれば給料は良かったのです。
しかしわたしは将来の自分のキャリアについてどうなるのだろうかといつも思っていました。
わたしの肩書きは「ソフトウェアのテスター」でしたが、わたしは「ソフトウェアのプログラマー」になりたいと思っていました。
また、わたしはより技術や知識をもっている同僚たちに引け目を感じていました。
そして、わたしは真如苑の信者さんたちに、思えばこのような態度を取っていました: たとえば、だれかがわたしに何かを指摘したときはいつでも、わたしは議論を吹っかけました。
わたしはけして相手に同意もしませんでしたし、自分の誤りも認めませんでした。
また、時々バスご奉仕のひとや接心の受付の人たちに文句を言ったりしました。
二人ばかりの真如苑の事務のひとたちに、すごくくだらないことで文句を言ったりしました。
わたしの態度といえば「あなたたちは間違っている。
わたしはそれを直そうとしているだけだ」みないな感じでした。
わたしはいまは、自分の態度に本当に後悔しています。
真如のみ教えによって、自分自身を少しずつわからしていただいてきていると思っています。
「9-11」同時多発テロいらい、わたしが働いている会社では毎年リストラがあります。
リストラのたびにわたしは、双親さまや両童子さまがどのように多くの困難を、特に法難を乗り越えてこられたか想像しようと思いました。
しかしほんとうはわたしはいつも心配でびくびくしていました。
また「9-11」以来、グリーンカードを得るのが難しくなってきました。
だけどわたしは3年後に手に入れることができました。
わたしのまわりのグリーンカードを待っていた大部分の人たちは、解雇されてしまいました。
両童子さまから抜苦代受をどれだけいただいたか、ほんとうにわかります。
で、わたしの弟について話したいと思います。
当時、わたしの双子の弟が日本に住んでいました。
弟を思ったとき、真如のみ教えが幸せになる唯一の道であると伝えたいと思いました。
ほかのものと一緒に、弟に真如苑ついて書いた手紙を送りました。
はじめは、弟は真如苑についてつよく反発しました。
彼が休暇のさいに日本から来たとき、わたしは真如苑について話し、彼をお寺までつれていきました。
弟が真如苑について理解するまで、かなり時間がかかりました。
弟がアメリカの学校に通うためにこちらにきた際に、彼は真如苑に帰苑させていただくようになりました。
わたしは弟と一緒にもっと教えのもとで修行していきたいと思います。
将来、弟とともに霊能者にならしていただき、ともにアメリカで真如み教えの道を歩んでいきたいと思います。
 最後に、わたしの父との関係について話したいと思います。
わたしは幼いころから、父とはほとんど話しませんでした。
実際、父を避けていました。
父からほめられたり、何かいいことを言われた記憶はありません。
しかしながら、わたしのほかにも両親との関係で悩んでいる人々がいると真如苑で知りました。
父はわたしと話しをしたかったと思いますが、どうやって話し掛けたら良いのかわからなかったと思います。
ルイジアナの大学を卒業して働き始めたとき、わたしはもう家には帰らないだろうと思いました。
残念ながら、その当時父とわたしとの距離は縮めるには大きすぎました。
経親さんは、両親とくに父に毎月手紙を書くようにアドバイスを受けたときは、何を書いて良いのかわかりませんでした。
なにも頭から出てきませんでした。
わたしは毎月手紙といっしょに「内外時報」と「歓喜世界」を送りました。
手紙はわずか1枚でしたが、それでも書くのがたいへんでした。
両親について話しをし、経親さんからアドバイスを受けているうちに、わたしと父とを結ぶもつれた糸が、真如み教えによりしだいにほぐれてきました。
最近、経親さんが日本に行ったさいに、わたしの両親に会ってくださいました。
3人は立川の総本部に帰苑した際に、両親は近いうちに、真如苑支部に帰苑すると約束しました。
それをきいてとてもうれしかったです。
だけど、2・3ヶ月たっても帰苑について何の連絡もありませんでした。
わたしは両親があまりにももたもたしているのでいらいらしていたので、2人に電話をかけようと思いました。
電話をかけようとしたとき、父から真如苑支部への帰苑についての電子メールが届きました。
そのしらせは、とてもうれしかったです。
現在、両親は月に一度帰苑させていただいてますので、もっと帰苑していただくようはたらきかけていくつもりです。
わたしは、人から頼られ他のために尽くせる人になりたいと思っています。
真如継主さまが誇りになられる人になりたいと思います。
真如教主さまのみ教えにしたがっていきたいと思います。
そして、摂受心院さまの歩まれた道を見本として続いていきたいと思います。
両童子さまからの抜苦代受にとても感謝しております。
経親さん、導き親、そして常に励ましてくださったまわりの皆様に感謝しております。
衰えることのない信仰心をもって、真如み教えの道を歩んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました。